KIKO &DEKOの50歳からのeveryday

50代からの毎日幸せに生きるための羅針盤

子供の自立に口をだすな!

今週のお題「二十歳」

君が笑ってくれるなら僕は鬼にでもなる。

子供の自立に口をだすな!
子供の成功への人生のためには口をだせ!

SNSでは我が子のために大騒ぎ。

豪華な食事に晴れ着。


私利私欲が幸福感の定義は親の定義なのでは。


親の不運は子に引き継いではいけない。
人間の幸福になる権利はみな平等に生まれもつべきと、心構えとして持つように人生の指針として伝えて育てあげたのなら、その子の今後の人生の幸福感は違ったものになるはず。

私はずっとそう思って20年間育ててきたから、


大枚はたいてる周りをみても、ちっともうらやましいと思わない自分に、今日は満足してる。

私がふるさと納税をやらないと決めた理由。

ふるさと納税は、去年やってみた。

手続きを思ったほど大変ではないと受けとるか、いや?忙しい身の人であったなら、それなりにテマが全くかからなかった?とも言えないような、
コピーしたり郵送したりを面倒であるかないかは微妙な感じだなと思った。

医療費控除なども同じといえばそうで、
10万円を微妙に超えたような感じだと、数百円であったりとか、費やした時間に対してがっくりするような金額である。
それでも次の税金で恩恵があるので、やっぱりやったほうがいいと言うので、それはまた話が違うのだが、

ふるさと納税の違いについて、少し考えて見ると、
★普段なかなか口にできないような贅沢品が届く
★納める自治体を自分で選べる

今回、首里城や長野県の被災地などが人気だったのはその趣旨が有効利用されていたと思えたけど、品物で選んでいるのはどうだろう。


高収入な妹の家は、税金をいっぱい取られているので、ここぞ!とふるさと納税の鬼になっている

あれを食べた!普段こんなものは食べられないと自慢三昧。

我が家は障害者がいるので、そのあたりでは税金の優遇は少しあるのですが、ふるさと納税でそここまで手放しで浮かれるのには微妙な気分だ。


それより私は横浜市民であって、横浜が大好き。

横浜市民の横浜愛は結構有名だと思う。


横浜市は財政難で、中学校の給食がない問題もフードロスが本当に問題だからなのかわからないが実現しない。
高校までお弁当を作る経験がなかったと言う友人の話をきいて、住んでるところでこんなに朝の労力が違う人生があることに気がついて驚いてしまった。


私はこれからも、自分が住んでる横浜が活性化してほしいし、納税することで自分たちの生活へ還元されるように、ふるさと納税はしません。

辛いのはコンプレックスからなのだと思う。

長男はもうひとつも落とせない単位と卒業制作に追われ就活は全くしていない。

卒業できねば就活してても仕方ないと、言いたいのを我慢してきた。
でもさすがにもう今年も終わりだ。
聞くと今日で今年の授業は最後だという。

年明けだって入試の日程からもう授業はないはず。

お前はなぜ黙っているのだ?!
返事をしない?
聞いていた同じく大学性の次男がチャチャを入れた。

「うちのバイトにもいるだよね、店長に怒られてるのに黙り込む奴」

要領の良い次男。

同じ場面をデジャヴュ。
私と妹。

長子あるあるでないのか?!

ここは何故か気持ちがわかってしまう。
自分は悪くないと言う理不尽さ半分。
相手の言ってるように自分に非があるようで、半分。

芸術学部なので、ポートフォリオが出来ていないとどっちみち就活はできない。
絵の道でやっていきたい。

親としては尊重したい気持ちもあるし、しかし安定もしてもらいたい気持ちもある。


昨日書いたように、兄弟格差のある年末年始は、行きたくないのは自分だってそうだ。

そんな事、横においといて、あ、ハッピーニューイヤーでいいんだろ。

気にしてるのは自分。


ああ、捨て去りたい。


癌になってから、せめて自分自身だけは自分を苦しめるのはやめよ!
新しい指針が出来たはずなのに。

自分より劣る人を見下しているものだ。

妹と年末年始の集まりの話をしていた。


弟がいるのですが、今年の正月あけに嫁に追い出されて実家に帰ってきた。
内緒の借金があったのだ。

正月に集まったときはそんなこととは知らなかったから、うちと妹の子供も大学のお祝い金。かなりきつかっただろうと思うと嫁が不憫だった。

出ていけ!と追い出した旦那の実家なんて自分だったら行きたくないだろうと妹に言った。


それでも小学生と保育園とまだ子供は小さい。
なんとか離婚は踏みとどまって暮らしているので、お年玉だけもらいにくるように言えばいいよみたいな話をした。


でもそこで妹は、でもそれとお祝いは別じゃね?と言うのです。今年は今年でうちと妹のところは成人式がお互いいるのです。うわー来たくないでしょ!
そして弟のところは七五三。

こちらが渡したら、向こうもわたさずえないでしょ。

ここで読んで頂いてる人に共感得ない背景があるとするならば、兄弟間にある経済格差です。

妹のところは年収1000万。
エリート(1000万は税収の優遇がなくなるのでそれほど裕福ではないとも言ってますが)な妹の旦那のこと「うちのパパは表面ではいい人の顔をしていても裏では出来の悪いひとを見下しているところがある」なんて言っていたけど、妹もそんなひとになってしまってない?!

「別に来ないならそれでもいいし」とか、そっれっていかにも小姑発言じゃない?

ここで姉妹喧嘩もしたくないので、感情的になりやすいLINEではと呑み込んだ。

正月に親族で集まれなくなるのは、金銭的なこととかで簡単に失う。
ここはひとつお祝い金などどうでもいいのでは?と私は思うのだが、

世の中の「きちんとさん」にはこういったお祝いやら、お返しやらに非常にこだわる人がよくいて私は面倒くさいと思ってしまうのですが、これも違うのでしょうか。
こういった事を大事にしてるから、成功できている!というのもあるのかもしれませんが。

借金ある身の人がお祝い金やらあげてる場合?と思う私はノーマルでないの?

失敗する人を馬鹿だなと思うのは、潜在的優越だと感じることもそりゃある。人の心の中にある悪魔な部分。

身近にバツ2の人がいるのですが、そのことを知ってしまっていると、彼女の結婚観についてとかことあるごとに申し訳なくもそういう目で見てしまうこともあったりする自分に気づくタイミングもある。


うちの母なんかはお産以外は入院したことがないのが自慢。うちの妹のところも持病がないから、うちみたいに病院通いのオンパレードの気持ちはわからない。

母なんかは時にテレビも見ていて、障害者に対して偏見めいたことを言ったりするので驚かされることがたまにある。そこまで体験しない人の気持ちがわからないものなのかなと残念に思います。

フリーになったばかりの笠井アナウンサーがうちの夫と同じ病気のようですが、夫婦でがん患者なんてなんでしょね。でもうちの夫の病気のことはまだ誰にも話してないのです。こうやってブログに書いてしまってますが。

笠井アナウンサーは悪性度が中程度のアグレッシブなタイプということですが、うちは今のところ低悪性度の進行の遅いタイプということで無治療中は、これまで通りに暮らしていこうと思っているからです。


病気続きの我が家。
痛む気持ちには敏感なのかもしれないけど、

運良く不遇なく過ごしている人たちは、そこまで人も痛みがわからなくなるくらい私利私欲な人になっていくのかな。

一生落ちない鳥も存在するのも現実の世の中なのですよね。

最低賃金が1000円を越えた!

10月1日からついに、1000円を越えた最低賃金

とは言え1000円越えは、東京と神奈川だけだ。

私は神奈川、妹は千葉に住んでいるんだが、現実としてもらってる時給は同じか、もしくは妹が上かもしれない。

なので、千葉の最低賃金の事をあまり気にした事はなかったのだが、何かの話から東京神奈川と比べ随分と千葉の最低賃金が低いことを知って驚いた。

業種によって時給は違うので、自分は土地柄に恵まれているわりにはいつも最低賃金の仕事しかしていないと言うわけだ。

私は東京神奈川以外で生活をしたことがないので、完全な井の中の蛙なのだが、その他の地方に住んでいる知人とくらべて全く生活に優越感がない。

来月から1011円になるのだが、2ヶ月遅れの給与振込なのでまだまだ反映されない。

そう言えば子供が幼稚園の時に始めたパートの時給は780円だった。
近所の学生の方がもらってて言うの恥ずかしいね!なんてパートの仲間と言い合ったものだけど、

最低賃金が底上がってくると、それほど業種にかかわらず、そんなに差がなくなってきたようだと言う話もよくしている。

先程も述べたが、東京神奈川しか知らない井の中の蛙なので、他県の生活感がわからない。
けれど、最低賃金の底上げの恩恵を感じた事はない。

寿命から換算して老後の設計をする

今週のお題「理想の老後」

ダンナが悪性リンパ腫と言われてしまった我が家にはタイムリー的にも痛いお題だ。
禁断のネット検索をしていて、平均生存期間10年とか見てしまった。

あと10年しか生きられないのか。
平均だからそれ以下かそれ以上かはわからない。
誰も未来はわからないから気をもんでも仕方ないのだが、

ダンナは51歳。
定年後と言うものはもう存在しないかもしれないなんて。
そう思うと泣ける。


あと10年は生きられると考えたとしたら、もはや老後に備えなどする必要もなく、
やりたいことは先送りせずに暮らさなくてはいけない。

考えてみると、毎日同じ事を繰り返していて思い出せないような日々が大半なのが人生だ。

思い出と言う言葉が当てはまるのは、非日常とか記念日とかそんなもので、
それは人生のうちにそんなに沢山の時間というわけではないのなら、

怠惰にタラタラと時間を繰り返しているだけを長寿と言うのなら、
長ければいいと言うものでもないのかもしれない。

長生きしたらしたで、辛い出来事も待ち受けているかもしれないのが人生。


テレビで理想な老夫婦が紹介されていると、大抵は子供は独立していて生活に余裕がある。

しかしでもまあ、裕福までとは行かなくても、そこそこ暮らして行けるのなら悪くもないとは思うけど、

いつまでもあると思ってる人生だから、我慢して摂生したりもする。

お金がないが口癖のダンナも、

寝心地のいい布団や携帯を新しくしたりしだした。

ガンと言う重さ。家族の心。

ダンナの悪性リンパ腫の診察は前回の告知から一ヶ月後に経過観察に行く予定になっている。

高~中悪性度のものだと、週単位~月単位で変化があるようなので、
やはり予想の通り低悪性度のもので、きっと随分と前からすでにあったものなのかもしれない。

ダンナの様子としては、現在はとくに症状があるとも思えないのに、背中が痛いを連発している。ストレスによる緊張せいだよ、と声をかける。
自分もこれであちこち受診して鬱ですね!と言われたから。

この数週間、
自分もまた息苦しさが復活していた。
辛い。
辛い。
辛い。

過去の経験からもこれまで通り普通に生活するのが一番だ。

仕事や以前から予定していた旅行をしたり、周りには何も言わず過ごした。

自分の乳ガンの時は、初期だと言うこともあったし、周りにふれてまわった。
これは初めての事で、どうしたものか、とりあえず言ってみてあるいた的なもので、あったのかな。

明るくケロっと、乳ガンになっちゃてさ!みたいな感じだったけど、
相手の困ったようなリアクションに、逆にショックを受けたりした。

大抵の人は、私ガンになっちゃった!と言われたら、なんと返したらいいか困るのだ。

ネットで知り合った同病の人に話を聞くと、割りと周りには何も言っていない人が多い事に驚いた。

抗ガン剤もしてなかったりすると、
これまで通りにしていても全く気付かれない。

同情されるのも嫌だし、
特別扱いをされたい訳でもない。
急に自分が別物になってしまったような恐怖の方がストレスだ。


忘れられるものなら、忘れられたい。
戻れるものなら告知される前に戻りたい。これがガンだ。
悪性って言葉がなんだかね。
悪者になってしまったような。

子供たちは、特に何も言わないけど、お父さんが大好きな次男は、
アトピー性皮膚炎が一気に悪化して、耳たぶから汁が出ていて、目も晴れ上がっている。
あの日から酷くなったので、ストレスから来ているのかもしれない。

ダンナも自己免疫疾患の難病があるので、次男もアレルギー性の疾患があれこれあるので心配だ。
やはり炎症反応はガンのリスクになるんだろうな。
体調管理は大事だ。

しかしやはり、救われたいのは、一番に心だ。

ダンナが悪性リンパ腫になってしまった。

健康診断で肺がひっかかりCT。
しかし肺はスルー。
脇のリンパに何かあるぞ?!と放射線科より。それで電話が
帰りのスーパーの駐車場で。病院に舞いもどる。

リンバが腫れている。

結果待ちのこの一ヶ月つらかった。

四年前に乳ガンになったときのことがフラッシュバック。


悪性リンパ腫って、名前が怖いでしょ。ヤバイ感じ。

でも自分が先にガンになったから、ガンにもいろいろあるって事もわかるから、なんとなくニュアンスとして理解ができるような所もあると思う。


高悪性度だと週単位で進行。
中悪性度だと月単位で進行。
低悪性度だと年単位で進行。

発熱や体重減少たどのB症状はなし。
腹部の上下にも多発。でもどれもとても小さい。
生検はしない。
中悪性度以上であって表面にしこりが出てきてから治療は開始になる。


今は表面に触れるものがないので、

無治療経過観察することに。

低悪性度だと抗ガン剤が効かないから治らない。

しかしそのまま変わらず、経過観察で5年から10年とかの人もいる。

無治療なら何も知らずに過ごした方が幸せに暮らせたんじゃないかっても思える。


今はまだ告知後時間が短すぎて、受け入れと適応には、まだまだ時間が必要。

50代からの女の仕事の話。スキルとは?について考える。

仕事がらみの話は以前書いた通り、以前辞めた人が揉めてから、SNS関連の書類にサインをさせられので本当に書きづらい。
今の仕事の前の所を辞めた時も、内部の情報を漏らさないと言うサインをさせられたので、今はネット拡散が命取りになったりするこういう時代になってしまった。
ネタにしたいような話こそ書けない。

私は以前のパートの仕事は13年勤めたが、今の職場ももうじき3年になる。

別に我慢強い性格と言うわけではないけれど、
以外に長く勤められてるのは、最初から無理しないように時短勤務で契約してるので、割りきって勤めているからだと思う。あまり辞めたいとは思う事はない。

石の上にも三年などとは、今時は死語かもしれないけど、なにかワンクールではあるように感じる。

働き始めた直後はネットの口コミで「受付の人が不馴れな感じでした。」などと書かれ、これ完全に私の事じゃん!と、今どきながらの洗礼を受けたこともあったが、
最近では、悪質なクレーマーからの電話などは、どうやって切り返してやろうかなどと、ちょっと闘志が湧いたりもする。
電話口の向こうの人は、病んでる感が気の毒に感じるだけだ。
そう思えるのは、私も病んでいて服薬していると言うのもあるのかもしれない。怒っている感情とは悲しみの感情と裏表だ。
血圧が上り呼吸が上り、自律神経が狂い、本人にとっても身体に一つも良いことはない。

こんな人はきっと後で、自分のブログなどに伏せ字で悪口を書いてうさを晴らしているのだろうなと、ちょっと笑えたりもする。

カスタマーハラスメントをカスハラと言うらしいが、

私もわからないでもない。
正義感が強い人にも多いのかもしれない。
受けるべきサービスをキチンと受けられなかった出来事に、これは正せねばならない!と闘志に燃える。

今どきの高い離職率で、スタッフの経験不足が一番の原因なんだろうけど、

これを切り返すスキルと言うより、
結局は人間対人間として対応するしかないものだと思う。

時にミスをしてしまうものだし、コミュニケーションがうまくいかず情報の共有が、抜け落ちてしまったりする時もある、人間だもの。

許せない!と怒って暴言を吐いてみても、言葉か重複してしまうが、
自分にとってメリットは何もない。

私の場合は単純にミスは謝って、でも本来のマニュアルは遂行する、たんたんと、それだけだ。


そうは言っても自分も数年前はクレーマー的な事をとっていた頃があった。

今思い起こすと更年期の症状だったのか、なぜあんなに鼻息も荒くイライラしていたのだろう。
なんだかいつも、許せない許せない許せない許せない…

そんな感じで暮らしていた。
10年勤めた前の職場でも、教えては辞めて教えては辞めていく新人にイライラしていたし、
そんな意地悪な自分に嫌悪感だった。長くいるだけで、なんにも偉いわけでもないのに、ああ上から目線でしか物事を見れなくなってしまっていたのは弊害以外に何者でもなかったと思う。

自分が新人の頃に仕事を教えてくれた人は比べるとなんと優しく教えてくれた事だろう。

イライラしている意地悪な自分で心地良いわけなんかない。
疲れていたのか余裕がなかったのか。

今は出来るだけ親切に優しく教えるように努めている。

そんな感じの前の職場でも学べたなぁ、思えた事があったのは、
自分でやることを見つけて仕事をできるようになると、途端に楽になると言う感覚を体で覚えた事。別に全然上からとかな話じゃないけれど。

パート、アルバイトのマニュアルがある単純作業の中でも、長くいると余裕が出来て、少し視野を広げて仕事見つけられる。

仕事は変われど、どの仕事も自分で率先してやれると、やらされてる感よりもずっと楽だ。

あと、もうひとつ。
前の職場での話。
人生で、こんなに感じ悪い人に会ったことない!って人がいたんだけど、こっちが辞める前に向こうが辞めてしまった。
辞めたいから、あんな感じだったのがそれはわからないが、
他にも、自分が「お母さん」と言う立場になってから初めて「怒鳴られる」と言うことをされた所長もなんだか突然辞めてしまった。未熟な子供に怒鳴るのは違うと気付かされたので、意味はあったかもしれない。

その体験から、息子が男子校で嫌な奴がいると言ってた時も、もう少し様子見てみな、と言ったら案の定、夏やすみ明けに退学になってしまった。

不満が先か、卵が先か鶏が先かじゃないけれど。

以外に出口が見えないような状況でも、あっという間に反転することもあったりする。

令和のこんまりと、昭和の林真理子

美容院でVERYを読んでいたら、林真理子の連載が、こんまりの事を取り上げていた。

物欲の塊の象徴たる林真理子さん。
思い出がつまってる物や写真は絶対捨てられない!と締めくくっていたのが、やはり林真理子節はぶれてなくてなんだか安心した。

こんまりさんは全米で人気で第2のマーサ・スチュワートと言われてるらしいが、
私はBSで放送されているマーサのお菓子作りの番組のファンだ。

カリスマ主婦らしいが、腕前はプロ級。不眠症の私はただひたすら軽量してミキサーがクルクル回っているのを見ていると寝落ちできるので、マーサすげぇー!と眠剤並の評価をしている。

マーサさんは日本の料理道具も好きみたいで合羽橋ででも買ったのか、番組中にもいろいろ登場する。

先週の放送はグリーンティだったのだが、
後半、茶筅でお茶をまるで泡立てきのように混ぜて、最後に器の淵でちゃんちゃんと水滴をきった。

こんまりさんが全米で指示されてるのは、巫女の経験がある彼女のメソッドは、何故手放せないのか、個々の深層心理と対話するような、一種のカウンセリングのようなものと、物を擬人化したような表現が、日出でたる国からのオリエンタル風に感じるかららしい。

私は高校で茶道部にいたのだが、
マーサが茶筅を器の淵で水切りをし、美味しい!とニッコリと笑ったのは、
茶道が、ただ茶を美味しく飲む為のレシピではなく、茶を通してあらゆるものと対話するもので、その一連の動作は舞のようなものだと言う発想はやはりアメリカ人にはないのだろうなと思った。


林真理子さんは、野心のすすめと言う本も書いているが、

ハングリー精神よりも、執着を捨て去り、消費しない人生論がもてはやされることが、いいとか悪いとか言うよりも、

ただ時代なんだな、とだけ思う。

物を買うのは選択なのだけど、捨てるのは失敗を認めることだ。

失敗だったと認めたくないから、まだ使う時も来るかもしれないと取っておく。

捨てる事で、間違いを受けいれ、次に買うときは無駄にしたお金を痛みとして記憶して、次の選択に生かせる事が本来の意味だと思うが、

樹木希林さんの残した言葉とかが人気らしいが(本当に人気なのかは知らない)
人は三畳程度のスペースがあれば結局は充分とか、
多くの富を持った人が人生の終わり近くにそう言ったのなら、
多くの庶民は、お金持ちも結局はそうなのかとやっかみ気分も解消するからなのかもしれない。

それでも、生きてるうちに好きな物に囲まれ暮すのは、
手に入れたいものは貪欲に猛進していった昭和平成の女はやっぱり人生に悔いを持たずにいられそうで、羨ましくもある。

更年期の憂鬱

以前ドライノーズになったと記事に書いてから半年がたった。
良くなったかと思えば後退し、夜中に鼻血が出たりした頃に堀ちえみさんのガンの事があったので、2度も耳鼻科に行って大丈夫と言われた経過で、それ以上は自己責任と言われても、それは難しいものだと思いつつ、以前よりはましになってるとも感じられるので、ほんとに悪いものなら良くなったかりはしないものだろうと今に至る。

耳鼻科に2度行ったのは、
目の下や鼻の横が痛いので副鼻腔炎ではないかと思ったからなんだけど、それはないな~と一蹴された。
処方されたのはこの二つ。f:id:iitenkidama:20190615213412j:plain
それも初回はワセリンでいいと言われたものを再来して申し訳程度で出してもらったレベルの話。


でも未だにまだ痛い。

そしてやっぱり疑わしいのは眼瞼下垂の症状?

眼瞼下垂について検索していると、
日頃このブログに綴っている、
不安や動悸、パニック、中間覚醒
全部、症状として羅列。

更年期は辛い辛い、ホルモン治療は辛い辛いと嘆いてみてはいるけれど、実は真の犯人は別にいるのかもしれなかった。

最近あまりマメにやってなかったアイプチを再開。

あれからまたいろいろなタイプを試してみたけど、ファイバータイプは時間が経つと丸まって剥がれてきてしまうので、ある程度しっかり感があるテーブタイプがいいと最近買ってみたがなかなかいい。

f:id:iitenkidama:20190615213704j:plain
周りでも眼瞼下垂の手術をした人がいるが、術後は腫れ上がって大変そう。芸能人でも最近では和田アキ子がやって不調をラジオで訴えているらしい。

名医を紹介してあげるよと言われるが、芸能人ですら失敗例を挙げられると出来ることなら先伸ばしにしたい。

しばらくはアイプチで様子見。
しかし瞼が暖簾のように目の前に被さると、
人生が鬱々と見えてくるとは。

ドライノーズになる原因に自律神経の乱れと言うのもあるらしい。

自律神経の乱れは、はい!とても自信あります!

これまでなったことのない、初めての症状が現れる更年期。
驚きの連続。

強くなんかない。不安とどう付き合うか。

50歳はまだ若いとは思う。

けど、乳ガンのホルモン治療は閉経用のお薬で、副作用で関節にきてる。
いや、それのせいばかりとも言えないかも。
服薬を始める前から同じ姿勢を長くしたりするとしびれとかはあったので、これは女性の御守りホルモンの恩恵はすでになくなっていたからだろう。


体にいつもと違う不調があったりすると、急激に不安の闇がモヤモヤと立ち上がってくる。

すぐになにか重大な病気ではないかと心臓がばくばくしてしまう。

乳腺外科で出してもらっている、
不安の薬が日数制限対象になってしまって30錠しかでないので、寝る前に眠剤と一緒に飲んでいたものを、やめてみたら、以外と眠剤だけで大丈夫だった。

飲んでも寝れない時は寝れないし、途中で何度もめが覚めるのは変わらない。

飲まなくてもあまり途中で起きない時は起きないし、何度も起きてしまう時は起きてしまう。

特にストレスを感じてない時でも、なぜか全然眠気がこない時もあるし、時々思うように寝れた時は、今日はこんなに眠れた!と喜びを感じる程度の話になっている。

こんな話は年を取れば多くの人がそうなので、みんな同じだと思えたのなら、一番の処方せんだと言うことには気づいてはいるけれど、それでもやっぱり寝れないことは辛いことだ。

そういった事で、眠剤を飲んでもどうしても寝られない時に飲み足したり、さっき言った、なにか重大な病気かもと心臓がばくばくした時の御守り用にやっぱりまだ処方はしてもらおうとは思っている。


急激に立ちこめるモヤモヤの正体は何だろうと考えると、死が怖いんだと思う。
まだ生きたい?あと20年は生きたい?自分に問いかける。だから恐怖の闇が現れるのか?

自分自身と問答してると、
在り来たりだけど、いつ死んでも満足したと思えるように生きるしかない。

聞きあきたようなドラマの台詞のような答えしかないんだ、結局は。


以外と惰性でなにかをやりつづけてる事ってたくさんある。

先日も、なんだか録りためてたドラマを面白くないのに、だらだら見ていた。
微妙と思いながらも、もしかしたらこれから面白くなる?とか思いながら。
しかし、ふとこれも時間の無駄遣い。

暇のつぶしかたが自分の中でワンパターンで有ることを時折意識して思い出さないといけない。
それほど面白くないと思いながら見続けているドラマを全消去したらスッキリした。
ネットサーフィンもそうだ。

ネットサーフィンが本当に面白いと感じているのは最初の10分程度ではなきか?あとは惰性で続けてしまう。

もし今日で人生が終わりだとしても、その瞬間に、私の人生まあまあだったな、と思えるようなら、諦めもつくのかもしれない。
不安とは予期する事だから。
これから先、どうあがいても老いるしかないのだから、痛かったり苦しかったりしなくてはいけない事が怖いのだ。

闘病している人が時に元気で前向きだと、「強い人ですね」みたいなコメントをする人を見かけるけど、それはモヤモヤする。
そういうとこではなくて、
最終的にたとりつく回答が、「予期不安は捨てる」と言うことが幸せに生きる事だと、たどり着く所は一緒ではないからか。

50代からの第3の居場所。

50代からと言わなくても、
人生に逃げ場はあった方がいい。

第1の居場所としての「家」
第2の居場所としての「学校」や「会社」

以外に第3の居場所を持っている人は多くないのかもしれない。

これを見つけることができたのなら、きっと幸福な人生を手にいれたと言えるのかもしれない。

第3の居場所なるものは、
「生活のため」以外の場所になるものであると思う。

この第3の居場所とはどんな場所があるのだろう。

それはイベントめいた旅行先と言うものではなく、
第1と第2にいる以外の場所のことであると思う。

つまり、家にいないで学校や会社にもいない時間のこと。

これは、家族としても自分ではなく、
生徒としてでも社員やスタッフでもない「自分」としている時間である場所でなくてはいけない。

時には家族と口も聞きたくない時もある。
時に、この職場から逃げ出したいと心がはちきれそうな時もある。

第3の居場所は、第1や第2の居場所とは全く関連していないものであるのが理想であるかもしれない。

しかし人間と言うもの、いや動物と言うものは、陣取り合戦をしたがり、ただその場所でいると言うだけで使用料なるものが発生する。

公共の場所以外には保有者がいて、勝手に侵入もゆるされないのであった。

いまや、第3の居場所となっているインターネットの世界ですら、全く無料で使用することもなかなかむずかしいときてる。

生活に追われている庶民が実際にこのような理想郷を持つのはむずかしいのが現実なのか。


しかし、人生は不満不平を嘆いて過ごすほど長いものではない。

見つけることが人生の醍醐味であるのなら、そのために第1や第2の場所で頑張る意味にもなるのかもしれない。


コスパのいい理想郷探しが50代からの生き方と言うことになるけれど、

なかなかお金をかけないで満足感のあるものと言うのも難しい。

今のところ私の場合は、月1万円は越えるけど、通い放題で行けるヨガ教室とかはいいと思ってる。

通い放題だと好きな時に行けて、
さてこれからどこに行こうかと考えなくていいのがいい。

以前はケチが主婦の美徳だと信じて疑わなかった時期もあったが、
大抵はこんなことを言っていては、定年後に図書館しか行き場所がみつからないと言うおちになってしまう。

習い事をするなんて家計に余裕があるのね、なんて嫌みを言われることも
あるが、いや以前の自分は言う人間だった。

家計の余裕なんて全然ない。
ただ楽しく生きたいだけだ。

選ぶとは自分に判決を言い渡すこと。

迷うのは、選択肢があるからだ。
選ぶ余地がなければそれを受け入れるしかない。

こっちを選ぶとあっちの恩恵をうけられなくなる。こっちはここがいいし、でもこっちも捨てがたい。
自分の欲と格闘する。

乳ガンの手術の際、
全摘にするか温存にするか、次回までに考えてきてと言われた。

乳ガンの交流サイトでよくこんな例えが聞かれる。

”自分自身が裁判官であり被告人である。”

私のガンはとても小さくて1センチ以下のサイズ。

エビデンスは温存+放射線で同等。

同じなので自分で決めなくてはいけない。
その後の後悔は自分の選択によってヒモ付けられると思うと震えるほど迷う。

断端陽性や局部再発の場合はまた手術を受けなければならない。

それでも結局は、やはり温存を選択した。

結果、断端は陰性であったけど、ガンはくりぬいた5ミリの際にあったので、ブースト(追加照射)を5回となった。

放射線でガンが死滅したことを信じるしかない。

放射線治療、そしてここでも自身の選択を迫られることとなる。

最新の方法で、14回+ブーストと言うのに条件が適応すると言われた。

条件と言うのは、早期ガンであることや年齢50歳以上とかそんなものであったと思う。当時私は48歳であったけど、四捨五入?なのか該当とのことだった。

これまた次回までに考えておいて言われた。

標準だと25回+ブーストで計30回。

短縮照射は一回あたりの照射量を多くして回数を減らす。

日本では10年くらいのエビデンス
20年経った人のデーターはないと言うことではないか?!

またまた震えるほどの迷い。

命に関わることを自分で決断するなんて、そんな怖いこと簡単には決められい・・というか、それでいいのか?何度も自分に確認を繰り返すだけ。

イチゴショートケーキにするか、モンブランにするかとの迷いとは訳が違う。


結局#最新の
は捨てた。

しかし、実はこれで私はメンタルが落ちてしまったのだ。


放射線治療も14回の頃、
短縮照射にしていたら、もう終わりだったのに、と思ってしまったのだ。

折り返しであと倍はある。

この日を境に通院を指折り数えるよううになってしまった。

最初から30回だけで、
それしかないと思っていたら、そうなんだとおもえたのか?

いや、放射線医師の話でも「みなさん後半がきついといいますよ」そう言っていた。

それでも、自分が決断したことに妙にイライラとしてしまう。

なんだろう。
選べる立場と言うのは、優位性のあるものなのに。

選べることで、人は怠慢になり後悔もしたりする。


自由であって、なんでもできるのに、やりたいことがみつからない。

そんな若者の叫びとかの似たようなものなのだろうか。




#「迷い」と「決断」

りっすん×はてなブログ特別お題キャンペーン〜りっすんブログコンテスト2019「迷い」と「決断」〜
Sponsored by イーアイデム