KIKO &DEKOの50歳からのeveryday

50代からの毎日幸せに生きるための羅針盤

自分より劣る人を見下しているものだ。

妹と年末年始の集まりの話をしていた。


弟がいるのですが、今年の正月あけに嫁に追い出されて実家に帰ってきた。
内緒の借金があったのだ。

正月に集まったときはそんなこととは知らなかったから、うちと妹の子供も大学のお祝い金。かなりきつかっただろうと思うと嫁が不憫だった。

出ていけ!と追い出した旦那の実家なんて自分だったら行きたくないだろうと妹に言った。


それでも小学生と保育園とまだ子供は小さい。
なんとか離婚は踏みとどまって暮らしているので、お年玉だけもらいにくるように言えばいいよみたいな話をした。


でもそこで妹は、でもそれとお祝いは別じゃね?と言うのです。今年は今年でうちと妹のところは成人式がお互いいるのです。うわー来たくないでしょ!
そして弟のところは七五三。

こちらが渡したら、向こうもわたさずえないでしょ。

ここで読んで頂いてる人に共感得ない背景があるとするならば、兄弟間にある経済格差です。

妹のところは年収1000万。
エリート(1000万は税収の優遇がなくなるのでそれほど裕福ではないとも言ってますが)な妹の旦那のこと「うちのパパは表面ではいい人の顔をしていても裏では出来の悪いひとを見下しているところがある」なんて言っていたけど、妹もそんなひとになってしまってない?!

「別に来ないならそれでもいいし」とか、そっれっていかにも小姑発言じゃない?

ここで姉妹喧嘩もしたくないので、感情的になりやすいLINEではと呑み込んだ。

正月に親族で集まれなくなるのは、金銭的なこととかで簡単に失う。
ここはひとつお祝い金などどうでもいいのでは?と私は思うのだが、

世の中の「きちんとさん」にはこういったお祝いやら、お返しやらに非常にこだわる人がよくいて私は面倒くさいと思ってしまうのですが、これも違うのでしょうか。
こういった事を大事にしてるから、成功できている!というのもあるのかもしれませんが。

借金ある身の人がお祝い金やらあげてる場合?と思う私はノーマルでないの?

失敗する人を馬鹿だなと思うのは、潜在的優越だと感じることもそりゃある。人の心の中にある悪魔な部分。

身近にバツ2の人がいるのですが、そのことを知ってしまっていると、彼女の結婚観についてとかことあるごとに申し訳なくもそういう目で見てしまうこともあったりする自分に気づくタイミングもある。


うちの母なんかはお産以外は入院したことがないのが自慢。うちの妹のところも持病がないから、うちみたいに病院通いのオンパレードの気持ちはわからない。

母なんかは時にテレビも見ていて、障害者に対して偏見めいたことを言ったりするので驚かされることがたまにある。そこまで体験しない人の気持ちがわからないものなのかなと残念に思います。

フリーになったばかりの笠井アナウンサーがうちの夫と同じ病気のようですが、夫婦でがん患者なんてなんでしょね。でもうちの夫の病気のことはまだ誰にも話してないのです。こうやってブログに書いてしまってますが。

笠井アナウンサーは悪性度が中程度のアグレッシブなタイプということですが、うちは今のところ低悪性度の進行の遅いタイプということで無治療中は、これまで通りに暮らしていこうと思っているからです。


病気続きの我が家。
痛む気持ちには敏感なのかもしれないけど、

運良く不遇なく過ごしている人たちは、そこまで人も痛みがわからなくなるくらい私利私欲な人になっていくのかな。

一生落ちない鳥も存在するのも現実の世の中なのですよね。