卒ママが、今だから分かる「ママ友っていらない」
- やたらと友達と群れている人って、基本「浮気症」
- 「分かってもらいたい」「共感し合いたい」は、相手にとっては負担だけ。
- 同じような環境、同じような家族構成は余計どんぐりの背比べ
- 結論的に、で?ママ友っているの?
やたらと友達と群れている人って、基本「浮気症」
この記事で書きましたが、やたらとうちの母は子育ては自分の地元で基盤を気づくのが1番と思っていたようなので、乳飲み子と毎日ふたりぼっちで過ごす日々は孤独でした。母は6人兄弟の末っこなので、長子とは10歳くらい歳が離れていたし、親も高齢なので親子依存が薄いのです。時代も戦後でしたしね。
私は、やっぱりさみしくて21年前、赤ちゃん会などに参加して、何とかママ友を作ろうと躍起になっていました。そこで知り合った人としばらく交流したりしていたのですが、ある日、新しくご近所に越してきた人と気が合ったみたいで、私は誘われなくなってしまいました。
中学生の時を思い出しました。
すごく仲良くしていた友達が、クラス替えをしたらそこで別の子と仲良くなって、私とは遊んでくれなくなった時の事です。
私って、友達としての魅力がないのかな?
でもそもそも友達としての魅力って何??
- 一緒にいて楽しくない?
- 性格が良くない?
30年後、その答えあわせの時がやってきました。
同窓会です。
その中学生の時の彼女から以外な言葉を聞きました。
「あの時の事、怒ってるよね?
あの後、男子からイジメにあったり嫌な思い出しかなかった。」
すごく驚きました。
全く思いもしない事柄でした。知りませんでした。(少し派手な感じの子とつるんでたからかな?)
私は私でフラれた?後、その時はショックでしたが、また別のグループの友達と過ごしてました。
さら〜っと、新しい環境で別に乗り換えてる彼女が、30年も前の事をずっとそんな風に(私を傷つけた)思っていたなんて、本当に意外すぎて驚きました。
長い年月が、そう思わせたのかもしれません。
若い頃には分からない、歳をとってわかると言う事もあるからです。
彼女は何かを後悔していたのでしょうか?
もし「友達なんて、へん!」っと、小石でも蹴ってる若い人が今いるとしたら、30年後に意外な答えあわせを聞く事もあるかもしれないので、絶望はその時までとって置くのもいいかもしれません。人生は意外にドラマチックなものです。
「分かってもらいたい」「共感し合いたい」は、相手にとっては負担だけ。
数年おきに、女子が集団で気絶をするニュースが流れますが、
まさに怪奇現象のように聞こえますが、女子特有の強い共感力。
友達が深く悲しみ泣いていたのを見ていて、自分の事のように感じてしまい、しゃくりあげて泣いているうちに、過呼吸パニックとなり、パタパタと集団で気絶する事は珍しい事ではありません。
考えてみれば、恋人や夫婦でこの女子と同じ共感力を求めると言うのは、無理があると言うものです。男には分からない世界なのですから。
精神的な依存をやめ自立。
これをできてこそ、始めて人とうまく交流ができるのでしょう。
良い関係を築きたいと思うのなら、まず自分が熟した大人になるように成長すること。これが1番大事な事なのだと、最近わかるようになりました。
同じような環境、同じような家族構成は余計どんぐりの背比べ
考えてみると、学生時代と言うものは年齢で区分されて過ごしていて、
横の広がり。部活などで先輩を含めてもせいぜい3年程度のたての幅。
学生がよく世の中はもうわかりきってしまったような刹那的な発言をするのも、この狭い世界が全ての「人形の家」症状なのかもしれませんね。
特に日本はまだまだ単一民族色が強いので、他の国の人が人種問題を考える前にもう少し小さい些細な違いにばかり目が行きがちなのかも。
世界にいろんな人種がいるように、多様性を認めた時始めて人と付き合える
そういう私も、そう思えるようになったのはこの歳になったつい最近かも。
乳がんになった事で、気づきも多い。
私は「乳がんのひと」ではなくて、「わたしはわたし」
小林麻央さんが言っていたのも、そう言う事だと思う。
その事がその人ではなくて、その出来事がその人に起きただけ。
結論的に、で?ママ友っているの?
子供が産まれた途端に、「ママ」と言うものになるから、同じくらいの子供がいる人と情報を共有したり、共感したいから「ママ友」なる造語を称した友人を作りたがる。
まずこれが間違い。
友達とは、環境に合わせて作ると浮気症の餌食になる事も多いし、
ましてや、子供の発育や能力などどんぐりころころ状態になるのがおち。
作るのなら、子守代わってくれたり手伝ってくれたりする時間や余裕がある人の方がまだマシだ。
共感求めるくらいなら、全く別の環境の人の話を聞いた方が、狭い世界観から視野を広げる事ができる。
愚痴ってスッキリすると言うもの一理あるけれど、大抵は愚痴った所でローリングしているだけで解決するもんでもなし。
世の中いろんな人がいるもんだな、そんな風に気がつけたりする方が、よっぽど自分の人生の糧になるってもんだ。
ネットの中でもSNSとかでも結局「子育て」とか同じジャンルの人同士でつるんでしまうのも、同じような事じゃないのかな。
当初ネットの中で「乳がん」と言うジャンルで交流していた皆様が、約3年を経てそれぞれ個々の生活の中に、「それ」を落としこんで本来のその人らしく暮らしている事を、たまに覗いてはホッとしている今日この頃です。