細胞が癌かするほどのストレス
入眠障害なので、夜のルーティンをいろいろと模索してきて最近は外国の料理番組、とくにお菓子作りを音声を英語に切り替えて観ているのがなんだか良いようだ。
お菓子作りは、手順の説明がたんたんと流れていく。計量とかくはんの繰り返し。
外国のお菓子作り番組では「差し替え」の場面が少ないように思う。なんでもミキシングマシーン。粉物は大きな保存瓶から計量カップでざっくり。特に男性パティシエなんかは多少こぼしたりも気にしない、逆にダイナミックな方がショー的要素が上がるのかもしれない。平野レミさんがNHKでトマトを手でクラッシュして視聴者からお怒り三昧といった話をよくしているけど、確かに過程はどうでも綺麗に美味しく出来上がる事もある。日本人の美徳は神経衰弱的、そこに刹那も背中合わせしているようにかんじる。
中間覚醒もあるので、二度寝してしまう事が多いのでノンストップで寝れて朝焼けを見れた時はとても嬉しい気持ちになる。
乳がんは今や女性の11人に一人と言われているので、学校言うとクラスに2人はいるような感じなのだろうかと思っていたのですが、高校時代のクラスメイトがこの間の同窓会の時に同病で亡くなっていたと聞いた。数年前の同窓会の時はちょうど治療中なので不参加だと聞いていた時は、私はまだ乳がん患者ではなかったけれど、自分の右胸にはいつも良性の腫瘍がポコポコできていたので、いつかXーDAYが来ると思っていたので、その時でさえ他人事とは思えていなかったけど、やっぱりショックとさみしさ、怖さ、多種の感情が交差した。
あぁ、クラスに2人は彼女と私だったのだな、と高校生の時の私たちの姿を思い起こした。特別に仲が良かったわけでもないけれど、一度だけ学校帰りに下北沢に行った事が思い出だ。
その後の彼女の人生は詳しくは知らないけど波乱万丈ではあったようだ。
お洒落で可愛かった彼女は、銀座の女になったと言っていた。
そんな人生を聞くと、白羽の矢はそのように立つのかと思ってしまうのが人情というものかもしれないけど、銀座の女の乳がん羅漢率で統計を取ってエビデンスがあると言ったわけでもないと思う。ただ単に飲酒、夜間活動そんな所からの情報で、真逆な乳がん患者も沢山いるし、ご長寿の銀座の女もたくさんいる事だろう。
クラスに2人の体感としてはどうだろう。
小林麻央さんの訃報への悲しみをFBに綴った所(これは周りへのカミングアウトと言う事になるので実はかなり思い切りがいったことだったけれど、でもモヤモヤとした深い憤りに書かずにいられなかった)ちょうど私と数ヶ月違いで乳がんがわかり治療していた最近ご無沙汰にしていた知人(正確にはリアルでは一度もあったことのないネット友さん。年賀状やFBなどで家族やお子さんの様子なども交流)から、すぐさまメッセージが届いた。
「まさかのまさかだよねー」なんてラインで長々、これまで同病でない人には分かってもらえない話を一気に噴火させた。
何かの1グループがあるとしたら、こうして1人や2人の確率でいる事となるのだろうが、そのグループ内のある1人からのある言葉。
「あの子も旦那さんの親との同居とかいろいろあったからねぇ」
そうなのか?それが原因か?
いや、私も乳がんです!医師から言われた瞬間「そうでしょ、これまでのストレスだらけの人生だったもの。」自分でまずそう思った。神経過敏でPMS。感情の起伏が激しかった。
彼女がなぜそんな第一声を発したかと言うと、ブロ友だからだ。
これまでの経緯を、今このように私が書いているようにそれまでもブログで綴ってきてそれを読んでいる。
私がブログに書くという衝動にかられるのは、心の根底にくすぶる大きなものを文字にひきづり出して、その正体をみつめて突き止めたい、そんなものだ。
でも、それはその正体なるものに大きく飲み込まれていて苦しめられてるって事なのかな。
その第一声の彼女のブログは、面白系だ。
ざぁますマダム系キャラで、笑うを誘う系なので人気があった。
リアルで付き合うようになってみたら、彼女は彼女なりにそれなりに人生の事件はいろいろある。でもブログには絶対に書かないし、周りにも込み入ったそんな話はあまりしないようだ。
そうなのだよ。誰でも生きていれば日々いろいろな驚くような出来事や心配ごとは起きるだろうし。
ドロドロと持て余したような感情を垂れ流しているような感じのブロ友さんとも何度か映画なんかを一緒に観に行った事があるが、元音楽教師の今は普通のママさん。
ただ教育熱心だった親と、仕事が全うできなかった葛藤があったり音楽や楽器に対する本人なりに心の底にあるものを、どこかに埋没させたり浮上させたりしたくなって、ブログを作っては、消してを繰り返していた。
ここに関しては、私も同類のような所があるのでなんだか分かる。
思い当たるブロガーさんも多い事だろう。
マダム系ブロガーさんのブログ作りは、エンターテーメント性を求めていて言わば、遊びのような場であるみたい。
見てる人も楽しい気分になるので、人気も上がりファンも多く付いて盛り上がる。
それでも数年後は、結局やってる彼女の興味自体が薄れてきて逆にファン層のいつまでも熱い温度差が負担になって、そのブログも放置されていってしまった。
彼女は、今は別の趣味のジャンルのブログを書いてるらしい。
これは発散の仕方の違いは間違いなのか?
ネガティブなブログは、読んでる人にあまりメリットはないし・・まぁ読んでも楽しくないし。書いている側の自分の内側の再構築に利用しているだけだ。
「リング」「らせん」の鈴木光司さんは、子育て主夫で筋トレマニアで有名だ。
ホラーを書く人は実は明るい人が多いとかも言われているので、アウトプットはその人なりなので、その表現でその人となりを象徴しているわけではないとは思う。
私が悪性と判定された瞬間、
「なんでなっちゃったんでしょ。」
自分で、しょうもない事聞くなと思いながらもやっぱり口から出てしまった。
みんな思うでしょ、なんで私が ?!
同じ細胞は存在しないから、人それぞれであって、だから完治が難しい病気。
原因を探ろうとしても、それぞれ違うので難しい。
ただ乳がんは女性ホルモンが原因となっているものが7割はあるので、女性である限り誰でもなる確率はありますよ、そう言われるだけだ。(乳がん卵巣癌症の家系でこの遺伝子がある場合は男性でもなる確率が上がる)
これまの私の人生は、起きた出来事に一喜一憂し、イライラしたり鬱々したり、
自律神経が乱れていた事は、これは間違いなく実感してハッキリ言える。
周りにトラブルメーカーも少なく、大きな出来事がなく、感情が高まって興奮する事も少ない人生なら、ほぼ長生きできる確率は上がると思う。
トラブルメーカーは血筋とも言えるので、結婚するからその家族を見ろと言うのは、確かに俗説ではないところもあるかもしれない。
実際にはそこまで、計画的に人生は行かないし、
これから出来るのは、思いがけない出来事に対して、今後どう「振り回されない」でいくかと言う事だけなのかしれない。
いつどんなタイミングでガンになるのかはわからないけれど、自律神経が体の機能に大きく影響しているのだから、私はこれから起きる出来事に対して、血圧も上げずギアが常にニュートラにある事を確認しながら生きて行かなくてはならない。
それが逝ってしまった人からのメッセージ。
全ての悩みは生きているからでこそ。
それでも生きて行くのだから、無になって残らないようなものに翻弄される必要はないと言う事なのかな。
それは言葉で表現するとしたら、やっぱり価値観とかいうのが当てはまるのかな。
生きていて悩ませる全ての出来事。
解決口は、価値観のよその方向にあるのかもしれない。
思ったように行かない、うまくいかないの解決口?
それなら、これまでの価値観は捨て去らないと見つからないはず。
大病をしたのだから、生まれ変わるチャンスをいただいた。
これまでのように、同じような出来事に翻弄される必要ない。
生きていない=●●
等号するに対等な出来事なんてないだろう。
悩むに匹敵しないと言う事だ。
生きている事が苦しい。
苦しいのはなぜ?
「ダメ」と言う価値観。
自分からのダメ出し。
実際はどうなの?
誰がダメだと言ってるの?
人がダメと言ってるのか、自分がダメと言ってるのか。
ダメからダメじゃないへの通路はないの?
最終地点が無であるならば、今は無ではないのだから。
まだまだ人生は続いて行く。
荷を下ろして、快適に生きよう。
出来事の大きさはどのくらいのものなのだろう。
体の痛みではなく、心の痛みであるのであらば、
気付きたい。
あなたの肉体が健康であるだけで、それは「捨て去る」事で解決できるもの。
気付こう。