50代からの夢
20代の頃の夢とは違う。
未来のある頃の夢とは違う。
20代の頃は、なりたい自分探しみたいなものが夢とも言えたような気がするし、
50代の夢とはどんなものだろう。
二度寝のような、浅い眠りの時にみるような、妙にリアルチックなもの?
自宅の近くに大学や学校が多い。花見をするような公園もある。プールもある。
自宅を改装してカフェ?
夏なんか駐車場にワゴンで、ドリンクだけでも売れそう?
妄想だけでおかわり飯できるのが夢の良いところ。
しかし現実的にはやはり現実的ではないと行き着いてしまう。
私自身が実現力のあるパワーを持った人間でもないし、身内で商売を失敗して借金を背負ったものが何人かいるので、本当に商売は怖いと見に染みている。
私の理想の暮らしとは、わいわいと「人が集まる家」
現実は、いつも家族の誰かが散らかして、突然お宅訪問なんかされたら困る家。
ギャップ、溝は結構深い。
よくよく考えて見ると、孤独感を感じやすい人間であると自己分析しいている所もあるけれど、飲み会や集まりで人疲れしてしまう事も多い。
ましてや、自宅に人を招待などそんな事を頻繁にしていたら、ぐったりしてしまうのは間違いない。
考えて見ると、うちの父親は職場のすぐ裏に住んでいたので、頻繁に人を連れて帰り、飲んで騒ぐのが嫌だった。子供のころは狭い団地に住んでいた。
早く帰ってくれ!
今の私の中の夢のイメージは、
明らかに、ドラマや雑誌、おしゃれなブログのミーハーな影響。
実際に人寂しいのは、今も接客業でお茶出しもしているので。職場はある意味カフェのようなものとも言える。
あぁ夢とは、幻想で妄想。
50代ともなると、
ちょっぴりだけ賑やかで、ちょぴりだけ静かなのが、ちょうどいいとも気づいているお年頃。
体重は計らない!痩せる!ダイエットと言う言葉は捨てるべき!
ある程度の年齢を過ぎて大きな数字で体重を減らした人で「綺麗になったね」と思えた人に会ったことが私はない。
「老けた」
幸い娘でもいる人は、筋張ってて気持ち悪いよとか言ってくれるようだが、
本人はダイエットと言うものに成功した余韻に浸っていて聞く耳は持ち合わせないのかもしれない。
せっかく痩せたのに、なぜ残念な気持ちを感じるのだろう。
彼女たちの失ったものはなんだだろう。
太っている事は醜い部分もあるのだけれど、幼子が可愛いいのは丸さ、やわらかさ。
数字を減らせばそれがダイエットだと思っているならば、それは若い時からのダイエットと言うものの価値観がそのままでアップデートされてないから。
もしくは痩せれば綺麗になれる、
次第に極端になっていくと、
痩せれば私の全ての問題が解決する 、 そんな風に思っている。
若い頃のかつての自分もそうだったから。
乳がんと診断された時、1週間で3キロ痩せた。
少し前に芸能人が癌で亡くなった芸能人の激やせした姿が浮かんで、怖くなって口に懸命に食べ物を詰め込んだけど、飲み込めないし味もしなかった。
あんなにダイエットに励んでいた時は、水を飲んだだけでも体重はすぐに増えるような感覚だったのに、一所懸命食べても減ってしまう体重が恐ろしかった。
医師に言ったら、どのくらい減ったの?と聞くので3キロだと言ったら、そのくらいなら大丈夫と言われた。
その後、精神的にも落ち着いてきて体重も元に戻ってきたけど、
その後も鬱々していたので、どうやらげっそりして見えるらしく、会う人会う人「痩せたね」と言われるのがとても嫌で、「この人、癌だから」と思われているのかな、ガラスの心にキンキン響いた。
体重は以前と同じなのに、精神的に参っているだけで激やせ扱いされた現実に、
あれ?と気付いてしまった。
結局は見た目だよね。
50歳の私に1番大切なもの、
これは筋肉と骨密度。
ダイエットと言う言葉は、食事制限を意味する。
食べないと弱る。
低栄養は免疫力が弱り、病気になりやすい。
食べなくてはいけないものはたくさんある。
とるべき栄養素はたくさんある。
それに、人生は短い、素敵な味をあと何回体験する事ができるのだろうか。
そう考えると、その場しのぎで何でも適当に食べるべきではない。
大事な一食を、全力で真剣に食べる。
とても大事な事だと思う、食べる事は生きること。
量も満足するまで食べるべきだと思う。
欲しているのならば、それは自分にとって必要なものなのだ。
食べても食べても満足できない、
そうならばそれは、これまで我慢してきた記憶がまだ残っているから。
もしくは食べる事に罪悪感を持っている。
体重は計らない 。
その代わりに全身がうつる鏡で毎日確認する。
でも痩せてる人とは比べない。
あなたの中の痩せ像は、本当に良いもの?
でもその「良い」って価値観は、どこ目線?何目線?
何かの影響を受けてるだけの価値観じゃないの?
「自分の美しい」をきちんと確認していないと、そのギャップはいつまでもうまらなくて、心と身体が不協和音をおこすだけ。
足はしっかりと太く!筋肉をつける。
お腹も筋肉をつけないと、背中が丸くなる。
姿勢が悪くなり、バランスが崩れて腰椎を痛めたり。
食事と運動は、骨に何より大事。
50歳過ぎたら、もう何より骨の事だけ考えてなきゃ!っていうくらい女の人には重要な事だと思う。
これは若い頃には気づけなかった事なんだよね〜
トリプルヨーグルト×はてなブログ特別お題キャンペーン「私の生活習慣」
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朝活は体に良くない!は新常識!
更年期女性にとても便利な100円グッズ
今週のお題「新生活おすすめグッズ」
痛い痛い関節。
本当に指に力が入らなくなりました。
ネイルをしている人にもいいですね。
100円グッズも10月には110円になりますが、こう言ったものは助かります。
もと同僚がブログでばれて訴えられました!
怖くてちょっとブログを書くのがまたまた躊躇しそうな私です。
裁判中であるし、また具体的に詳しい内容も聞けてないのですが、
この話を聞いてから、私の頭の中は
なんでばれた?顔だし?有名なブロガー?こんな感じてグルグルです。
今回の事はブログを書いていることが問題ではなくて、
会社との契約違反がブログを通してバレてしまい訴えられたという経緯です。
私はこれにあたるものはほぼないので何もびくつくことはないのですが、
ブログでたどり着けちゃうと言うこと事が大きなショックでした。
なので、先日は「やっぱり私はこの方面で書いていく!」なんてナルシストまじりな口調で書いてみましたが、
やっぱりよく考えて、見ばれはしなきような工夫や、ふれてはいけない部分はノンフォーカスしないといけないと身に染みて思ってしまいました。
また違う同業の知人はFacebookで会社の商品の内容を公開して始末書を書かされていました。
有名ブランドに就職できたので、嬉しくってちょっと浮かれて連投してたのはみんな分かってましたけど。
社長はうちは負けないわよ!と言ってましたが、どうなるのかな。
やっぱり怖いわ、この業界。
メーデーとブラック企業との関係について考えてみる。
めメーデー(5月1日)
労働者の日としてのメーデーは、1886年5月1日に合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟、AFL)が、シカゴを中心に8時間労働制要求(8-hour day movement)の統一ストライキを行ったのが起源[4]。 1日12時間から14時間労働が当たり前だった当時、「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」を目標に行われた。
うちの父は交通関係の仕事をしていたが、私が子供の頃に今日はストライキ「スト」だと言って会社でみんなと籠城していたのを思い出す。
交通系の会社の労働者がストライキをするということは、当然通勤や通学に支障が出る。同年代の人は子供の頃、私と同じようにこのような事情で電車やバスが動かないといった経験をしてるはず。
そう言えば、今は電車やバスが労働者のストライキによって止まるといった体験をする事はなくなっている事を忘れていた。
そう言えば、うちの旦那も結婚したばかり20代の事は、5月1日はメーデーに半強制的に参加させられていたような。
うちの旦那の会社は現在、春闘で組合が闘ってくれていいるので、旦那がGWにメーデーに参加する事はなくなった。
なぜストライキが現在なくなったのかを検索してみると、やはり非正規雇用で組合に所属していない労働者が激増しいている時期とグラフは比例しているように思える。
ブラック企業がなぜこんなに横行してしまっているのかと思っていたけれど、
どうやら、この辺の時代背景もありそうだ。
今は大手チェーン店を展開する企業のシェアが増え、店長一人で他はパートやアルバイトで回している構成が殆どだ。
ストライキとは縁遠い労働環境がはびこっている。
なぜ?なぜ?こんな世の中と嘆いてばかりいても仕方ないけれど、
当時ストに参加していた私の父親世代の心境はどうだったのだろう。
当時は土曜日は半ドンだった。
労働時間は遥かに今の方が短くなっているように思えるけど。
なせこのような記事を書いたかと言うと、
私はパートの形態で働いてきて、今もそれを選択しているんだけど、
気がつくと社員の数が一人減り二人減りと…
なぜかパートが社員の仕事をし、なぜか責任まで負わせられてる。
これがいつものモヤモヤしてくるわけなのです。
会社は当たり前のようにパートも社員も関係ないだろみたいな扱いなので(そんな会社は多いですよね〜)平気で退社時間ギリギリに仕事頼んできたりするのに残業つかないとか。
時給はちゃんと払ってもらいたいよ。何より責任とかおいたくないからパートの形態で働いてるのに、業務拒否だとか始末書だとか減俸だとか脅すのはやめてくれ。
東京の女性が圧倒的に婦人科ガンにかかってしまうと言う件について
子宮がん検診に行ってきました。
ホルモン剤を飲んでいるので3ヶ月に一回きてと言われたけれど、子宮たいガンの組織の採取はほんとうに苦痛だと訴え半年後に。
今日の医師は1年後でもいいかなと言う。どっちなんじゃい!
しかし、有賀さつきさんが命をとられてしまったのは卵巣ガンであったとテレビでみて、それでもやはり検診にいくしかないんだなと重い腰をあげるしいない。
閉経からもう4年ほどたっているので、子宮筋腫はピーク時6センチほどもあったけど今は4センチ程度になっているみたい。
それにしても、閉経して萎縮してきている子宮から採取するのは 痛い!と声をあげてしまうほど本当に辛い。
乳ガンは画像診断の後、組織診や細胞診にうつるけど、子宮に関しては画像だけでは診断できないと言うのは、私は乳ガン検診よりもこっちの方が嫌だ。
簡易検査が早く出てきて欲しいものだ。
乳ガンは、発生に地域格差があり東京などの大都市には多いというデータある。
これは初婚年齢や出産数の少なさが関係があるというデータがある。
しかし先日も電車の人身事故で駅から溢れだしているニュースをみて、自分もかつて中央線で通勤していたので、30年前とこれまた全然変わってない?いや運行本数は増えているだろうし、フレックスやリモートワークなどの選択肢も増えている。それに人口も減ってくると言うのに、結局は都心集中はいまだになお続いているのだ。
あの満員電車のトラウマ、毎日何時間も我慢しての通勤。
あれでパニック障害にならないと言うのも無理な話。
私は東京生まれの東京育ちなので、地方の人が上京する事情はよくわかっていない所があると思うのですが、
うちの息子なんかも、都会はストレスがたまる!自然が多い所がいいなんてよくぬかしておるのに、結局は高校も大学も23区内に通う事になり、これはどう考えても東京にある学校の数も圧倒的に違うので、うちなんかも選択の余地がなかったとも言える。
子宮頸がんについては、ウィルスが原因だけれども、婦人科の不調については女性ホルモンの乱れ、つまり自律神経の乱れ、つまりストレスが都心の女性ほど多いと言うことになる。
お受験や塾通いなども都心ほど白熱していて、自分を失うほど母親もプレッシャーを感じてしまう。
私は今でも実家に帰る時は、どうしても渋谷を経由しなくてはいけないのだけど、何かイベントがある時には、ホーム内までDJポリスが誘導していて、いや~楽しんでる若者はいいけど、仕事や家に帰るだけの住民にはほんとに迷惑だよ!
なんでこんな所に住んでるんだろとか思ってしまう。
夜9時頃は、塾通いの中学生で賑わい、ちびっこたちもママ達の飲み会でキャー(/▽\)♪と駆け回ってるのを横目で見ながら、
自分の子供の頃は、真っ暗にされて早く寝ろ!と押し付けられたものだけど、今は親も楽しむべきだという風潮が指示されているんだな。
母親たちも働いているのが当たり前の時代になっているしね。
ともかく、都心の女性のガンの羅漢率には、ライフスタイルの変化と言う一言では片付けられたくはないけれど、数々の精神的負担、肉体的負担を強いられている環境はスルーできない。
ともかく鉄道各種、交通機関にはことあるごとに駅から人が溢れだす現状と、何十年たってもこんな先進国がいまだに簡単にホームに転落して命を落とすことができてしまう現状をなんとかしてほしいと思う。
GWの度に老いる“紫外線との付き合い方”
沖縄に住んでるお友達はとても色白美白なんです。
なんで?と話を聞くと、
「あんなに暑いのに外なんて出ないよ。」
そうなですね、現地の人は暑さ対策をしているわけなんです。
観光客は短い日程の中楽しまなくては勿体ないとばかりに長時間、ベロンと皮がむけるくらいビーチにいたり。
若い頃はちょうど小麦色の肌がカッコいいなんて言われていた時代だったし、
しかしその頃の日焼け止めと言うとコパトーンくらいで、あれを肌にのせる違和感、
その時の印象が強い私たち世代は日焼け止めクリームが好きじゃない!って人が多いみたいなのも悲劇の一因なんではないかと思う。
今の日焼け止めはすごく進化していて、ベタベタもしないし、刺激が強かったり目にしみにくかったり良いものが出ている。
はてさて、紫外線のはなし。
最近では、ある程度紫外線にも浴びる事が老化防止とも言われている。骨は大事だよね。
一生懸命表面からスキンケアをしたり、表情筋エクササイズしたりしても骨の減少は女性ホルモンの減少によりま逃れないと言う事。
更年期と言うものは、精神的にも鬱々とする事もある。
太陽の光と言うものは、必要なものなのでもある。
昔、中森明菜ちゃんがマッチさんといろいろあった後、
こんがり日焼けして向日葵の衣装でカムバックして驚かせたけど、
美白にだけこだわって精神的に薄弱してしまうのもこれは大事な問題だ。
近所の奥さんも、洗濯を干す短時間にも完全防備で手袋サングラスにサンバイザー姿。
でも私は、朝のこの短時間は日光浴をする時間としている。
完全防備で洗濯を干すマダムは「これ以上シミを増やしたくないわ」短時間でも日々の積み重ねは大きいのよと言うが、それはそうやってアームカバーやサンバイザーを売りたい業者の宣伝文句に他ならないと思う。
そう言えば、サングラスに関してはそれこそ私の若い頃は、真っ黒なあぶない刑事みたいなもので、女優気取りかヤンキーか?なんて感じで、今こそはみんな普通にマダム達はかけているけど、当時は頑張ってかけ続けていたって感じでした。
紫外線は目から認識をしてメラニンを増やすとか、白内障のリスクとか、当時いちいち説明を論じながらかけ続けてるって、日本人がサングラスが似合わないって事が大きい事が原因なんだろうね。
と言う事で、つべこべうんちくを述べましたが、
50歳からのGW提案です。
あえて、もやしやホワイトアスパラになりましょう。
子育ても終わり、自分のために使える時間も増えたのですから、あえて周りの民族大移動で摩耗する事はないのです。
おこもりで英気を養い、美しいこれからを楽しみましょう。
51歳すっぴん美肌の取説
人気ブログの書籍化されたものなどを最近kindleなんかで読んだりするんですが、
私なんかがいつもブログ挫折しちゃうのって、飛び抜けて何か熱中しいてるものもないし、いやあるにはあるんですが、その熱中具合があくまでも凡人の域を脱しなく、すごい人のブログなんかを見ちゃうと、全然自分なんかはダメだなあ、なんてすぐ思ってしまうのですよね。
別にすごく承認欲求が強いとか強くないとか、そういう事だけじゃなくて、
あー思った、こー思ったと書きたい欲求があるからブログを書いてるわけなんだけど、
やっぱりブログやってると、私自身の推しってなんだろ?って考えちゃうわけなんですよね。
これはアドセンス申請している時にも散々考えて、やっぱ1番興味があるのはアンチエイジングなんですよね。なのでこのような今のブログの形態になり、アドセンスにも合格したのですが、
気がつくと、顔出しの勇気もなく、
そして現在、美容系の仕事もしている事もあって書いていいのか悪いのか葛藤の中、
記事を書いたり削除したり。
51歳すっぴん美肌なんてタイトルを付けてみましたが、
こんなタイトルの記事があったら、きっと自分だったら、自己承認欲求の自称美魔女おばちゃんかよ!っと毒でも吐く事でしょう(でも気になるから読んじゃうかな)
でも考えても考えても本当に他に取り柄何にもないんですよね。
このブログを始めたきっかけの乳がんの事は、なんで私が!と、拗ねたような気持ちを書きなぐってみたり。
でもそれはやっぱり『ないものを数えている』だけなんですよね。
自分にあるものを感謝しながら数えて生きていくって事が、きっと自分を認めるって事なんだろうけど、
これをアピールしながら作ってくって言うのも難しいなぁと。
私すごいでしょ!みたいに書いてる人を見るとイラッとしいちゃってる自分がいますしね。
でも、お客様なんかにも『もとからお肌綺麗なんでしょ!』なんて言われた時に、
いや〜そんな一言で片付けられたくないいでしょ、なんて思ってしまいます。
それは生まれ持ったキメの細かさとかもあります。でも50歳過ぎたらこれまでの長い長い年月の習慣、やってきた事、これをその一言で片付けられたくはないです。
若い頃、ハッチャケてる周りに奇妙がられながらも完全防備のビーチ。
笑われながらの時期を超えての今なのです。
それにやっぱり30代後半くらいは、このままでは老いてしまうと危機を感じ始め肌断食やノーファンデなど、いろいろ試し始めました。
ネットで化粧品の原材料なども取り寄せて自作化粧品を試したり、成分の勉強もしてきました。
美は1日でならず、これは確かです。
お客様の中には『私は即効性のあるものがいいのよ』とおっしゃる方も多いのですが、
ターンオーバー云々と言うよりも、
ライフスタイルなんだ!とご説明するのが結構大変だったりします。
このようにおっしゃる方は、間違いなく、
これまでビーチやアウトドアで楽しんできた方々が多いのですよね。
自分にそっくりな人とすれ違ったら
母の親友は、「なつぞら」のなっちゃんのような生い立ち。
その人がずいぶん大人になってから、実母のお墓参りに行った帰り道。
前から自分にそっくりな人が歩いてきたんだって。
多分、兄弟なんだろうなあと思いながら声もかけずにすれ違ったんだけど、
むこうも、同じような事を思っていたような顔をしていたんだって。
もうすぐ平成も終わるけど、戦争があった昭和もそれほど遠い昔の話とかじゃないのに、
平成生まれのうちの子たちなんかも、そんな時代の話は、ずっとずっと遠い話のように感じてるみたいね。
そう言ってる私だって、そうだもの。
今と比較にならない価値観ってなんだろう。
大事なものとか、守りたいものとか、根本的に違う、背景が違う。
たとえば、つまらないプライドとかこだわりとか、仕事の愚痴とか、誰かが何かを言ったとか。
どうしちゃってるんだろうね、わたしたち、って。
それこそ多くを持ちすぎていたり、
人のせいにしてみたり、
真逆に、他人を軸にし過ぎたり。
持っているにの持っていない、奪われいないのに奪われているもの。
それが現代なのかも。
日めくりをめくり続けた残骸がミライ。
2年前のちょうど同じ頃。
長男は幼なじみの葬式から帰ってきたと同時に大学の留年通知が届いた。
留年と言うのは前触れはあって、単位の怪しさから全く予想のつかないものでもないのだけれど、
持病のない20歳のスポーツマンが、突然病死する事は全く予想もしていない出来事だった。
2年前のその頃。
私は乳がんの手術からちょうど一年経った頃で、まだまだ精神的ショックの最中にいて、立て続けに起こる出来事に完全に萎縮してしまった。
留年はショックだけれど、20歳で突然無くなってしまった未来を思えば、天秤の上にも上がらないような重さにも思えてしまってた当時の心境。
・・あれから2年が経った。
近況としては、私は術後3年の検査を通過して、半年ごとの検査が一年おきとなった。
パートの仕事も同じく6月で3年が経過する。
最近は少し飽きてきている。
その前のパートの仕事は、子供の学校の都合で休みやすいのが何よりの利点で、10年以上も働いていたが、ガンと言われて、私なんでこんな所でいつまでも働いていたの?!と大きく後悔をした。
その頃のスケジュールアプリに日記かわりに、*今日の良かった事*を書いていた。
読み返してみると、
*マラサダを食べた。
*しごとが早く帰れた。
*早く起きた。
*新しいベッドが届いた。
そんなことを書いていた。
それまでの私は、節約セツヤク・・贅沢はもったいない・・
大した事じゃなかった。
羨ましいの正体は、大成した未来じゃなくて、小さな今のしたい事の成就。
今この瞬間の衝動を実現できなくて、なんの大きな未来が手に入るというのだろう。
人生は一度きりの呪縛・・あぁ、一度きり、人生は必ず終わる。
キュゥとさみしくなる言葉だ。
最近、仕事も慣れて飽きてきて(マンネリ)
50歳からでも、人生はまだまだいろいろできるのでは?
なんか今年もまた新たしい事ひとつ始めたいな、そんな気持ちが浮かぶ。
飽きるとは、平穏な証拠だ。
有難いものなのだ。
つい忘れてしまう。
さて私の未来予想図?
止まる瞬間まで動き続ける。
止まると倒れる自転車のように。
何をやるのか、内容の問題じゃなくて、今したい目の前のしたい事を実現する。
やりたい事って?その瞬間に湧き出る小さな衝動なのだ。
今の延長が私の未来の図なのだ。
(この行を消して、ここに「私の未来予想図」を書いてください)
POLA×はてなブログ特別お題キャンペーン #私の未来予想図
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ドライノーズ?!病院へ行く?行かない?
数週間前から、鼻の中がツーン!として痛い。
鼻水はでないんだけど、大きな塊が違和感でつい取っては出血を繰り返していた。
ぐぐってみると“ドライノーズ”なるものに該当するような・・
ドライアイやドライマウスなどはよく聞くけれど、ドライノーズなるものは初めて聞いたし、初めてなった。どっちかと言うと鼻炎なのでグズグズすすってる時の方が多くて、こんなにカピカピに乾燥したのは初めてだ!
心当たりは、鼻毛のお手入れ。
美容系の接客業についたので、以前鼻毛のチョビ出を店長に怒られた。
いいお年なのに、そんなの注意されるのって恥ずかしいよ〜でも更年期マダムって鼻毛も伸びるのよ〜・・とも言い訳もしたいけど、ここはプロ意識でしっかりお手入れしていたら、こんなことになってしまった。
この時期はマスクもできるのでよかったけど。
はてさて、数週間こんな感じで明日にはよくなる?などと思いつつも、一向によくならない。いじるのがよくないとあるので、鼻の穴の違和感に耐えていたけれど、そろそろインフルエンザやノロウィルスなど感染症も流行している、これのままではよくないには違いない。
こういう時、ネットをぐぐると病院に行った方がいいのか、行かなくても治るのか両方意見があって悩む。
そういう言ってるうちに年末になってしまうのもまずいと思い、ついに腰をあげ耳鼻科へ。
内容としてはネットでの情報とはやり同じで、炎症が起きてるところにはゲンタシン。反対の鼻の穴にはワセリン。
どなたぞの書き込みの通りの病院へ行かなくても、自分で購入しても対応できるような内容だったし、
けれど、耳鼻科へ行ったらあっと言う間に治りましたよ!と言う書き込みもこれまた正解ではあった。
結論として、病院へ行った事は正解。
メリット
- ドライノーズであって、他の病気ではない事が分かった安心感。
- 診察代と薬代は1500円程度で、ドラックストアで購入してもそんなに大差ない。
- いつ治るのかと、悶々と過ごすストレスが解消される。
行っても行かなくても、大差ないようだけど、
心配性やいろいろ気にしいさんは、とっとと行った方が正解。
デメリット
- 耳鼻科はいつも混んでいる。
- 時間の犠牲はある程度ひつよう。
“更年期・鬱“私の克服マニュアル
2015年秋に乳がんが見つかり年末に手術。
3月に放射線治療を終え、ホルモン治療を継続中な私ですが、
その後3ヶ月ほど経った頃、喉のつまり感、背中の痛み、その事からの不調感からの動悸、不安感などに苦しめられ、耳鼻科、胃腸科などで内視鏡検査などを経て鬱症状と言う事に行き着きました。
漢方薬を数種類試してみましたが改善せず、現在は抗不安薬と睡眠薬で日常生活を送っています。
約三年が経とうとしていますが、日にち薬というものが何より1番であることだとも感じるのですが、この3年の間にやってみて私には大きな好転であったものについて書こうと思います。
それは、最近見失っていたこのブログを書こうと思っていた1番根本となるものだと言う事にふと気がついたからです。
効果のなかったもの
1番最初にやったもの
ウォーキング
一般的には1番お薦めされるものだと思います。ポピュラーなものだとされるので私もまず手っ取り早く、放射線治療中から歩き出しました。
うちの近所にはとてもいいコースがあって、季節の花々などもよく手入れされていて、小さなせせらぎなどもあり、恵まれた環境だとも思います。
なのに症状は悪化してしまいました。
歩きながら過呼吸は悪化し、景色はグルグルと回り出し眩暈に喉のつまりもひどくなり胸の苦しさは悪化しました。
その頃、マインドフルネス系の本も読んだり森田療法の事など藁にもすがる気持ちでいろいろ試してみたかったのですが、ざわざわとする気持ち(予期不安)流れる
水に流すイメージとか、やろうやろうとする気持ちが余計、頑張る自分を追い詰めてしまったと言うか、焦りを加速してしまったのです。
私は何とかこの苦しさから逃れたくて、何時間も歩き続けた時もありましたが、爽快感どころか、膝を痛めただけでした。
ウォーキングが悪いと言う事ではなくて、鬱症状を頑張って無くしたい!この強い思いが逆に良くなかったのかもしれません。
仕事を辞めた
ビックリ退職。
先日も友人が長年勤めた会社を辞めたと言うので、話を聞きに行ったのですがやはり健康診断で引っかかった事に驚いて退職したと言った経過でした。
しかしやはりよく話を聞くと、今現在早急に何か仕事を継続できない理由などと言った感じの話ではありませんでした。
50歳も過ぎたら何かしら不具合は見つかるものです、引っ掛けて見つけると言うのが本来の健康診断の趣旨でもあるのですから。
しかし、共働きの奥さんでこれまで長年頑張ってきて、もう無理はしたくない!と驚いて仕事を辞めてしまうのはよくある事です。私もそうでした。
しかしその事が所属意識を失ってしまい、余計病気の事ばかりが気になって
しまい、健常の人を勝手に羨んだり壁を感じたり、メンタル的には負の方向に向かってしまいました。
その頃、ちょうど2人の子供のダブル受験も終わった後だったので、余計脱力感も後押しをして、空の巣症候群も発症しました。
同病のネットのブログ
ネットの中で、面識はなかったにせよ、ブログ主が亡くなると言うのはキツかった。スポンジのように他の人の悲しみや苦しみも吸い込んでしまった。
同病であっても、ステージや悪性度も違う。特に乳がんはオーダーメイド治療と言われ、治療内容が違う。自分は抗がん剤治療は受けていない。
逆に自分の言葉で誰かを気づけないか?当時、自分がガラスのように傷つきやすかったからこそ、逆に吐き出せなくなってしまって、ブログをやめた。
効果のあったもの
ネットの同病の掲示板やセミナー
ネットの検索順位と言うのは、やっぱりざわついているものが上位にきているケースが多い。私も不安になってはネットで見た情報を主治医に聞いたりしたが、稀なケースを無理やり自分に当てはめようとしないで!と言われたものだ。
最近はそんな患者が多いので、またネット情報かよ!と怒り出す医者もいるとよく掲示板に書き込まれる。
学会が主催しているセミナー
毎日悶々と湧いてくるザワザワ感に関してデータ分析されたものが、プレゼンされていて、それは内容が全く自分に該当していて、答えが全部そこにあった。
それは最新の情報であり、多くの人の悩みは私特有のものではなく、データ通り一般的な経過であったと分かった事が嬉しかった。
特化した掲示板
自分のプロフィールやデータを登録できるし、相手のも見れるので同じ病院や時に同じ主治医の人と巡り会えたり、先輩患者にメッセージを送って相談に乗ってもらえた。私の乳がんは希少な組織型であったので、これがとても不安だったのだけれども、これも検索で探して数年経過して順調な先輩に励まされた。どれだけ助けたれた事か。
メイクアップの勉強
30代、40代、50代と同じメイクの仕方をしていると、ずれが生じてくる。
毎日見ている自分の顔、よく知っている自分の顔だからこそ、見慣れてしまっていて実は気づき辛いのかも。少し迷走してきてしまうのもこの時期。
いやいや自然が1番!とメイクを捨ててしまう人もいる。
実は、化粧品会社は癌を患う女性とは切っても切れないバックアップをしている。
ピンクリボンは企業のイメージアップ政策なので鼻に着くと言う人もいるが、
私も知らなかった事だが、特に海外の化粧品会社は多くに寄付金をしている。
更年期のざわざわ感も、老いていく怖さ、失っていく怖さ、そんなものもある。
メイクアップは、鏡を見る自分に力をくれる。
私は、メイクアップのコースを終えたあと、少し自信を復活させて転職活動をする事ができた。
ホットヨガ
ちょうど症状が辛かった頃、息子の友達が急死した。ものすごく悲しくて。そして乳がんの入院中にも若い患者さんが多かった事も心が強く痛んだ。
喉のつまり感とか、胸の痛みって、涙がこみ上げてくる時に感じるのと同じなんですよね。
ショックを受けてた当時は、泣きたいのに泣くのもうまく泣けないって感じて、無理やり泣いてみたり。
泣いても泣いても、悲しみは減らないんです。
ホットヨガには、最初の頃は瞑想とか求めていたのも、自分的には間違ってたと今では思います。混乱している頭を、次々に浮かんでくるものを捨て去ると言うのも、過呼吸までいってる人には、その活動自体が大変すぎて、そこでまた早くよくなりたいと頑張りすぎ焦り。
ただ、エクササイズに呼吸をつけて、だらだら汗をかいていたら、
あ〜汗って、涙みたいだな。
そんな事は思ってました。
随分と体から涙を出しているうちに、筋力や体力がついてきて可動域も広がり関節の痛みもなくなり、血流もよくなりました。
血流がよくなる。これは脳に一番良い事だと感じます。
人は同じじゃないから
一般的にいいと言われている事。人の背景はそれぞれだから。
私の場合は、家にいないで仕事に出た事が良かった。
それはセミナーで出会った人からも、散々言われた事。
それでも、その当時は私は、今は外で働く気分じゃないの!そんな感じだったけれど、この苦しみからなんとか逃れたくて、自分なりの試行錯誤で行き着いた所だった思う。
それでも、人によっては外に出ることじたいがストレスで家で好きって人もいる。
私のメンタルも今は随分と良くなってはいるけれど、人生に安定なんてない。
それでも、人生は儚いものなので、つまらない感情は自分自身で捨てる事が、お金持ちよりも成功者よりも、何より自分が幸せになる事なのだとは今は気づけた事が一番のキャンサーズギフトなのだと思う。